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  • 原翔太朗

【アジアカップ直前】実はサッカーにおいて関係性が深い、ベトナムと日本の関係


 今月12日からAFCアジアカップ2023がカタールで開催される。


 元は中国で開催予定であったが、コロナウイルスの影響により大会開催を辞退し、AFC理事会にてカタールへの開催地変更が決まったのである。


 そして、カタールサッカー協会により2024年の開催に変更になったため、この時期の開催となっている。


 日本は1月14日にベトナム、19日にイラク、24日にインドネシアと対戦を行う。


 今回は、初戦で激突するベトナムの国の成り立ちとサッカー事情、そして実は関係性が深いさっかーにおけるベトナムと日本間の関係性について詳しく見ていきたい。



・ベトナムの歴史事情

 ベトナムの国民がなぜここまでサッカーがとても好きなのかだったり、国民の性格や感性を追うには、これまでの歴史を探るのが一番であるため、簡単にベトナムの王朝の巡り具合を振り返ってみる。


 ベトナムは「百越」という、現代中国南東部に住む諸民族が南下し、小規模な国歌群を形成したのが始まりである。


 その後、中国の支配下を受けることになったが、10世紀に独立を果たした。


 だが、13世紀に元からの侵攻を受けることになってしまった。


 元の侵攻軍を敗走させることはできたが、王朝が次々と変わっていくため、安泰の時代を歩むことができずにいた。



 そして、北部と南部で異なる王朝の歴史を歩んでいたベトナムが、今のようにほぼ等しい領域を統一したのは1802年の阮朝とつい最近の出来事である。


 だが、1847年にはフランスの侵攻を止めることができず、1887年にはフランス領インドシナ連邦の地域に構成され、フランスの植民地となった。


 その後、北部を中心に抵抗運動が勃発し、第二次世界大戦を経て1945年8月17日にベトナム8月革命により、バオ・ダイは退位させられ、ベトナム民主共和国が9月に建立。


 その後、北のベトナム民主共和国と、南のベトナム国の分断から、統一のためベトナム戦争が1960年代より始まり、1975年の南ベトナムが降伏するまで戦争は続いた。


 1976年から、ベトナム民主共和国がベトナム社会主義共和国へと改名し、現在に至る。


 そして社会主義共和国ということもあり、独裁体制が続いており、ベトナム共産党による一党独裁体制で国家が成り立っている。


 そのため、自由動画高くなく国境なき医師団が発表する「世界報道自由度ランキング」では180カ国・地域中178位と評価され、刑事司法は政治からの独立性に欠けるため警察は自白のため拷問を用いるなど人権侵害が報告されるような国家である。


 経済面においても、1978年のカンボジア侵攻により国際的に孤立したことから経済危機に陥ってしまい、その後はカンボジア和平が成立した後は国際的な援助が再開され市場経済及び全方位外交を推進する「ドイモイ路線」により、急進的な経済成長を果たしている。


 だが、急進的な経済成長により経済格差が生まれたり、コロナウイルスの影響により輸出がストップしたことや電気料金の高騰により製造がGDPの25%を占める製造業が滞ってしまったりと今後の国家成長に向けて課題克服が求められている状態である。



・ベトナムで国民的人気を誇るサッカー

 そんな政府の独裁体制によるベトナムにおいて、サッカーは国民的人気を誇っている。


 ベトナムの国営的テレビ番組であるVTVにおいて、国内のリーグだけでなく、2013年にはJリーグの放映が決まり、現在はプレミアリーグの放送を行なっていたりと、海外のサッカーも盛んに放送されている。


 日常的にサッカーが流れている環境を国が構築しているため、国民にとってサッカーはとても身近な存在である。


 そんなベトナムでは、Vリーグという名で1980年にセミプロとして創設され、2000年にプロリーグ化に改組された。


 そして、スタジアムの収容人数も多く、一番収容人数が多いスタジアム(ミーディン国立競技場)は40,000人も入るほど大きいスタジアムで試合を開催している。


 スタジアム周辺にはジュースや食べ物の屋台があり、ゲート前には長蛇の列がずらっと並ぶほどの盛り上がりを見せてくれる。


 Vリーグの2023年シーズンの累計観客動員数は90万1,200人であり、1試合平均だと6,725人とJ2とほぼ同数の平均観客動員数を誇っている。


 ベトナム国民のサッカー熱狂度が高すぎるためか、ナムディンFCのサポーターは、チームの怠慢な試合にいらだちを見せ、後半から応援をボイコットし、サポーターグループが解散を決定した。


 また、一昨年に行われたカタールワールドカップ予選の日本vsベトナム戦にて、コロナ禍だった事から声出し応援が禁止されていた中、ベトナムサポーターが国家を歌ったり、大音量の応援、チャットを行ったりと、サッカーへの熱狂的なサポーターがベトナムには非常に多く、とにかく熱い。



・VリーグとJリーグ間の関係

 そんなベトナムのプロリーグであるVリーグとJリーグは、2012年にパートナーシップ協定を締結し、今現在もVリーグのクラブとJリーグのクラブ提携が多く交わされているほど親交は深い。


 2013年のコンサドーレ札幌とドンタム・ロシアンFCとの提携から始まり、FC東京のサイゴンFCとの提携、昨年の12月に組まれた水戸ホーリーホックとVリーグのソンラム・ゲアンと包括的連携協定など、様々なクラブ間で提携が組まれている。


 そのため、ベトナムと日本間で選手移籍が多く行われており、ベトナム代表FWのグエンコンフオンは水戸ホーリーホックに所属したことがあり、現在は横浜FCで活躍している。


 さらに、元日本代表の松井大輔もサイゴンFCに所属したことがあり、現在はFC岐阜の監督を務めている三浦俊也氏はベトナムのA代表とU-22の代表監督を兼任し、その後はホーチミン・シティFCの監督に就任するなど、ベトナムと日本の関係は深い。


・ベトナムに数多く存在する日系サッカースクール

 そして、日本とベトナムの協力関係はプロリーグだけでなく、ベトナムの将来のスター育成においても日本のクラブだけでなく、企業が大いに関わっている。


 2013年に設立されたVJSSというサッカースクールは、5,000人以上のコミュニティクラスの学生と2,000人以上の幼稚園のサッカークラスの学生が在籍している、ベトナム最大の規模を誇るサッカースクールになっている。


 このVJSSは、JFAのコミュニティサッカー基準に従って、日本のサッカーアカデミーであるBKスポーツカレッジと日本のサッカースクールの教育プランに沿って育成プログラムを形成したサッカースクールである。


 コーチ陣は、日本基準のサッカースクールを運営するため、ベトナム体育大学出身だけでなく、日本体育大学出身のコーチもいる。


 そのレッスンを受けた子どもたちはサッカーに対してのスキルを持つだけでなく、チームスピリットを大事にし規律を保ち、協力するスキルも育てることができる。



 その他に、川崎フロンターレは2021年5月に、ベトナムの現地法人であるBECAMEX TOKYU CO.と基本協定を締結し、ベトナム初のJリーグクラブによるサッカースクール事業を開始した。


 BECAMEX TOKYU CO.の親会社である東急が、長年に渡り現地企業との法人立ち上げや政府とのネットワーク形成などを行なっていたため、事業開始にあたって必要な手続きが東急との連携によってスムーズに開始できたことが、ベトナムで事業展開ができた要因である。


 スクール生はベトナムで日本のコーチ陣から教わるだけでなく、今年からの初の取り組みとして、スクール生が日本に遠征し、日本のスクール生との交流はもちろんのこと、トップチームの練習見学、試合観戦を経験し、より高いレベルのサッカーに触れる取り組みを実施した。


 それにより、ベトナムでは得られない経験を得ることができ、幼少期から別言語の国の同世代とサッカーを通じて触れ合うことができる経験は、今後の人生においても貴重な財産となるはずである。


 これらのように日本のサッカー基準や育成プランを用いた、日系サッカースクールがベトナムには数多くあり、サッカーのスキルはもちろんのこと人間性の育成も行なえるため、より多くの子どもがサッカースクールに通う流れができている。



 そのため、今後もベトナムのサッカー人気はますます高まることになるだろうと思われる。


 そして、今月の11日にはハノイFCに前鹿島アントラーズ監督の岩政大樹氏の監督就任を発表され、JリーグファンにとってもベトナムのVリーグに対しての距離感がより近く感じるようになっただろう。


 日本ではVリーグの試合動画が公開されていないので、地域をベトナムにしていただく必要があるが、何試合かライブ配信している試合もあるみたいなので、ご興味が湧けばVリーグもぜひ覗いてみるのもありかもしれない。



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