【プロ入り前の経歴】
7人兄弟の3男として育ち、高校は、地元名門で有名である四日市中央工業高校に進学。
2年生からレギュラーを掴み、高校選手権では史上4人目となる初戦から決勝点まで全試合で得点を挙げて大会得点王となった。
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【プロ入り後の経歴】
2013年に、サンフレッチェ広島とプロ契約を交わし、2015年4月のFC東京戦でプロ初ゴールを挙げる。
この年は、スーパーサブとして、全8得点を全て途中出場から挙げており、活躍が評価されベストヤングプレーヤー賞を受賞した。
2016年シーズンから、背番号10を背負い、スーパーサブとして出場。
3月に先発出場を果たし、連続途中出場試合数が33試合で止まったが、当時の歴代トップを記録した。
2016年には、プレミアリーグ(イングランド)のアーセナルFCに完全移籍が発表されたが、労働許可証が降りず、2.ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトにレンタル移籍。
10月のカールスルーエSC戦で初得点を記録。
来シーズンもレンタル期間を延長し、1部の舞台で得点も決めた。
だが、シーズン途中の監督交代を機に出場機会が減少した。
2018年5月に、同リーグのハノーファー96へレンタル移籍。
順調に出場機会を積んでいたが、出場試合数が基準に達した際には買取義務が発生するという契約問題の影響から、会長により浅野の起用禁止が指示されてからは出場できず、買い叩かれる形でチームを去った。
2019年8月は、セルビア・スーペルリーガのパルチザン・ベオグラードに完全移籍が発表。
2020-21シーズンは、カップ戦を含め37試合21得点と大活躍を果たしたが、給与の未払い等で契約解除を発表。
チームが、FIFAに浅野を提訴する事態となり、双方にとって残念な結果となった。
2021年6月に、ブンデスリーガのVfLボーフムとの契約が発表され、背番号10と大きな期待を受けての入団となった。
だが、最終的に27試合3得点4アシストとエースストライカーとしての活躍を全うはできず、背番号11に変更し再起を期す。
【日本代表としての経歴】
2015年8月の東アジアカップ・北朝鮮戦で初出場を果たし、2016年6月のキリンチャレンジカップ・ブルガリア戦で自身で得たPKを決めて初ゴールを決めた。
2016年9月のワールドカップアジア最終予選のUAE戦で、ゴールラインを割ったと思われるゴールと認められず、日本サッカー協会がAFCに抗議を出した。
2017年8月のオーストラリア戦では、長友佑都からのクロスにボレーシュートを決めて勝利し6大会連続のワールドカップ出場に大きく貢献をした。
現在、A代表では36試合7得点を記録し、勝負強い場面での得点に期待がかかる。
【ストロングポイント】
1. 疾走感あふれるスピード
浅野の持ち味は、50m5秒9を誇るスピードだろう。
一歩目が非常に大きく、ボールを持った時も同じでドリブルの際に最初に蹴った時の一歩目が非常に大きい。
ディフェンスもついていくのに必死で、止めることが難しく、追いついたとしても余裕を持って交わしてしっかりとシュートを決めてくる。
そのため、スーパーサブとして活躍をしており、皆が疲れ切った試合終盤に浅野が出ると相手チームは本当に嫌になるだろう。
2. スペースへ抜け出す動き出し
持ち味のスピードを活かし、ディフェンスの裏へ抜け出す力は非常に長けている。
ディフェンスの背後を突いて、味方のパスにベストタイミングで抜け出してGKとの1vs1に持ち込んでくる。
前線だとどのポジションでもこなすことができ、ポジションに関わりなく裏に抜け出しディフェンスを慌てさせることができるため、相手の守備のリズムを崩すような存在として重宝したくなる。
本大会は怪我明けとコンディションは乏しいものがあるが、しっかりと整えてもらい浅野のゴールを大舞台で見てみたい。
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