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  • 原翔太朗

【アジアカップ vsイラク戦直前特集】独裁者の息子による恐怖政治を経て強豪国へ-イラク-


 今月12日からAFCアジアカップ2023がカタールで開催される。


 元は中国で開催予定であったが、コロナウイルスの影響により大会開催を辞退し、AFC理事会にてカタールへの開催地変更が決まったのである。


 そして、カタールサッカー協会により2024年の開催に変更になったため、この時期の開催となっている。


 日本は1月14日にベトナム、19日にイラク、24日にインドネシアと対戦を行う。


 ベトナム戦では、予想以上に苦戦を強いられたが4-2と勝利し、第2戦の相手であるイラクも勝利し、今回の対戦を迎える。


 そこでイラク戦の直前に、サッカー界に蔓延んでいた権力者による"負けたら拷問"という無下な扱いを経て、進化してきたイラクサッカーについて記述していきたいと思う。



・イラクの歴史

 イラクは、世界最古の文明メソポタミア文明を擁した地であり、8世紀のアッバース朝が首都をイラクのバグダードに置き、貿易やイスラム教の中心地として中東地域を支配していた。


 その後、バグダードの戦いによりモンゴル帝国の西方進出に敗北を喫し、10世紀からは異民族支配を受けてしまう。


 一時期はサファヴィー朝がイランで建国を果たしたが、オスマン朝がバグダードを再奪還し、イランは再度オスマン帝国の支配下になった。


 そして、第一次世界大戦でイギリスに占領をされ、戦後はイギリス委任統治領メソポタミアを成立させ、支配下にされてしまった。


 そのイギリスの支援を経てハーシム王家の中央集権化が進み、1932年にイラク王国として独立を達成した。


 だが、石油支配や軍隊を国内で自由に動かすことができたりと、実質的にイギリスの支配は続いていると言っても過言ではなく、反イギリスの国王のガージー1世が自動車事故による急死から国民からの不信感が広がりつつあった。


 そんな中、第二次世界大戦が始まり、反英派が首相に就任したことで、イギリスの相手国側である枢軸国に資源支援をし、イギリスとは反する姿勢を見せた。


 だが、結果的にイギリス擁した連合国側が勝利を果たし、イギリスのイラク占領が続いてしまった。


 その後、急進的な自由将校団が下士官兵を率いて起こした7月14日革命によってイラク王国が倒され、イラク共和国が建国。



サッダーム・フセイン

 カーシム政権、バアス党政権、アーリフ兄弟政権、第二次バアス党政権と推移し、1979年

7月にサッダーム・フセインが大統領に就任し、イラク戦争で政権が崩壊するまで独裁政権が行われたのである。


 その独裁ぶりはスポーツにも影響を及ぼし、息子であるウダイがイラクサッカー協会会長に就き、不振な選手には問答無用に拷問を行ない、選手を恐怖に陥れた。


・選手を恐怖に陥れたウダイの拷問の数々

ウダイ・フセイン

 1982年のアジア大会で金メダルを獲得し、86年のメキシコワールドカップでは初出場を果たしたことから、国民的な人気を誇っていたサッカーであったが、84年からサダム・フセインが息子のウダイをイラクサッカー協会会長に任命したことで、イラク代表は下降線を辿っていくのであった。


 ウダイはイラクのオリンピック委員長も兼務し、サッカー以外のスポーツでも暴虐の限りを尽くし、イラクの国内スポーツにおいて、暗い影を落とすことになる。


 例えば、試合でミスをしただけで選手に鉄仮面を被らせて窒息死させたり、中世の"鉄の処女""の現代版と言える拷問器具に押し込めて串刺しにするなど、あまりにも悲惨と言える処刑を行うことでアスリートを恐怖のどん底に落とし込んでいた。


シャラル・ハイダル

 1993年から1997年までイラク代表であったシャラル・ハイダルは、ウダイの拷問において初めて語ったサッカー関係者として勇気ある発言を世界中に行った。


 ハイダルによると、1994年アメリカワールドカップのアジア予選に向けて準備をしていたが、敵対国であるアメリカでの開催ということもあり、より強い圧力をかけプレッシャーをかけていた。


 だが、それまでにアル・ラドワニア刑務所に2度も投獄され、心身ともに疲労困憊であったことから、代表時代を申し入れたところ、認められず練習に戻るように言われた。


 それでも代表に行きたくなかったハイダルは拒否をすると、再度アル・ラドワニア刑務所に連行され、裸にされた状態で仰向けにされ、背中が血だらけになるまで固い床の上で看守たちが足を持ち引き摺り回し、その後は砂の中に投げつけられ、汚水の中に放り込んだ。


 それだけに留まらず、ファラカと呼ばれる木靴で蹴り付ける拷問を行われたと語っている。


 この刑務所生活が6ヵ月も続き、出所の際にウダイはサッカー界からハイダルを追放した。



 その他に、1993年に行われたアメリカワールドカップアジア地区最終予選のvs日本、のちにドーハの悲劇と呼ばれる出来事も、ウダイによる恐怖政治が影響していた。


 この試合で負けたら、メンバー全員に対し鞭打ちの刑が処せられると事前に伝えられていたとのこと。


 さらにハーフタイムにはウダイがロッカールームに訪れ、選手たちに「お前たち、わかっているな」と脅し、試合中にも関わらずさらに選手を恐怖の渦に飲み込んだ。


 結果的に本大会出場を逃したことで鞭打ちの刑になったのか、日本と引き分けの検討から鞭打ちの回数が半分になったとか諸説あるが、真相はわからないのがより闇の深いところである。


 その他にも、1997年にフランスワールドカップアジア予選が行われ、1次予選で敗退が決まりイラク代表選手が帰国したのち、代表選手たちを軍事施設に連行し鞭打ちの刑に処した後、立って歩けないほどの低い天井で、狭く、部屋中に無数の打ち放しコンクリートの柱がひしめきたつ拷問部屋に監禁をしたりと、まるで選手を駒であるかのように扱っていたのである。


 その恐れはプレーやキャリアに多大な影響を及ばせたに違いなく、AFCユース選手権2000では優勝を果たすなど、混乱した国内政情であっても若年層が育っていたことから、才能あるプレーヤーが思う存分プレーできなかったのは非常に胸が痛くなる。


 そして、イラク戦争によりウダイも死去し、恐怖政治によりサッカー界を制圧されていた過去から、課題をクリアしていきサッカー協会として他国と並んでも劣らないよう確立していくフェーズに現在もいるのである。



・宗教や人種による対立を超えて

 そんなイラクは様々な宗教や人種によって人口が分離されている。


 シーア派イスラム教徒やスンニ派クルド人、スンニ派アラブ人にスンニ派トルクメニスタン人、カルデア教徒、アッシリア人、シリア人と多くの人種と宗教に囲まれて国が成り立っているため内戦が多く起こる。


 だが、動乱の時期にあっても試合やスポーツイベントの開催に向けて宗教や人種の壁を越えて協力し合い、バグダッド市内の危険な区域であるサドル・シティなど様々な都市に行き、物騒であったとしても試合開催をやり遂げてきた。


 テロリストによる恐怖があったとしても、サッカーだけが宗教による内戦を忘れさせ、イラク国民を幸せにできる唯一の手段であると、ハイダルは語っている。


 現にイラクプレミアリーグは、イラク戦争とイラク抗議運動以外でシーズンを中止したことはなく、1974年に設立されてから現在までも人気を誇っている。


4万人以上収容するアル・ジャヌーブ・スタジアム

 収容人数が40,000人も誇るスタジアムが首都のバグダードにあり、一時は2022のカタールワールドカップの会場になったほど立派なスタジアムである。


 そのスタジアムが満員になる程国内リーグも盛り上がっており、スペイン1部リーグと提携したことで、環境を整備し、ブラジル出身選手が数多く在籍するようになり更なるレベルアップが見込まれる。


 また、IS軍など武力組織の拠点としてテロリストのイテオロギーが住民の中に浸透していることで、特に危険な地域であったモソール、ラマディン、ディヤラ、サダディンの4チームをリーグに加え、生きる上での支えとなっている一方で、市民を恐怖と脅迫で縛り付ける宗教の違いを超えて、一つのスポーツで一つにしようとしている最中である。


 だがアジアカップではしっかりと日本が勝利していただき、ドーハの悲劇のリベンジを果たしてほしいと心の底から願う。



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